アイデンティティーと地方分権

本日、関西学院大学主催の地方分権に関する講演会に出席した。
外務省の招聘で、スコットランド国民党の院内筆頭総務である、
ブライアン・アダム議員が「スコットランドの地方分権」と題し、講演された。
 
スコットランドは、グレートブリテン連合王国(UK)に属すが、
1999年スコットランド議会が設置され、地方への権限委譲が行われた。
現在、防衛・外交・薬物・武器・エネルギー・交通・通過などを除き、
保健・司法・教育・環境などの権限を地方政府が保有し、
越権行為は法廷で無効となる。
 
ブライアン・アダム氏は、スコットランドの地方分権への動機として、
1)スコットランド人としてのアイデンティティー
2)人口500万人を擁する地域としての経済・財政効率
を挙げられた。
 
我が国では、昨年政権交代した民主党政権が、
地方分権を一丁目一番地の政策に掲げている。
少子高齢化が進む我が国において、
より生活に近い福祉・環境などのテーマを
地方が権限をもって取り扱うことは、理論的には良いことであると思う。
しかし、もう一度検証されるべきは、我が国における地方分権の動機である。
すなわち我が国の地方分権の議論は、
財政的観点からの動機であって、アイデンティティーからの動機は存在しない。
 
アイデンティティーなき分権では、
分権によるデメリットが全く無視されはしないか。
例えば、極端な左翼政党が地方議会の多数派を獲得した場合、
国家のアイデンティティーさえも脅かしかねない。
外国人地方参政権の議論は、まさにこのケースである。
我々が日本人よりも例えば大阪人であることを優先してまで、
権限を獲得したいアイデンティティーを持っているだろうか?
 
もうひとつは、地方政府の質である。
より身近なところで政策決定がされることは理論的には良くても、
それを正しく決定・施行できる人材があるという前提である。
生活に近いテーマを決定するのに、果たして現在の議員・職員の
質が適当だろうか?
 
もうひとつ、スコットランドが分権に進めたのは、マクロ的に歴史を俯瞰すれば、
おそらく冷戦構造の終焉とEUの成立という歴史的な背景があるのでは、
と考えている。(これについて確認することができなかったが。)
つまり、国家的な安全保障危機からの解放と、
EUの基本的な考え方である「補完性の原理」の推進によって、
スコットランドの分権は行われたのではという仮説である。
 
我が国においては、
中国や北朝鮮の危機は、より深刻さを増している中、
より強い国家像が求められているのは間違いない。
地方分権の議論がナショナルアイデンティティーを度外視し、
財政中心で考えられているところに、問題の根深さを感じざるを得ないのである。
 
 
畠中光成

はたなか光成 <元衆議院議員>公式HP

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