高校無償化を問う

高等学校の無償化検討にあたり、朝鮮学校の扱いが問題になっているが、
そもそもどこの高等学校であれ、無償化そのものに問題があるのではないだろうか。
 
確かに子どもを育てるのには、カネがかかる。
しかし、それこそ親の義務であり、その集合が国家の力になる。
こども手当、高校無償化に見られるように、
何でもかんでもタダにしたりすることで、
子どもにまっとうな力が付き、その集合である国家の力になるだろうか。
そうは思わない。
 
私がお世話になった松下政経塾は学校ではないが、
参考までにその仕組みのひとつを取りあげたい。
大きな特徴は、お金を払って勉強をするのではなく、
お金をいただいて勉強ができることである。
塾にいたのは3年間であるが、創設者である松下幸之助やその設立趣旨である、
憂国の理念を何とか実現せねばとの思いは、今でも持っているつもりだ。
そのような環境や機会をいただいた塾に感謝しているからである。
 
では高校が無償化になったとしよう。
子どもたちが大人になったとき、その仕組みに感謝するだろうか。
そのお金がどこから来て、どういう思いで、自分たちに託されたか、
というところまで思いを馳せるだろうか。
私はまったくそうは思わない。
なぜなら、この高校無償化の考えに、そのような深い思いは、
こもっていないからである。
 
それならば、各家庭の親が、頑張って働いたお金で、
子どもに高校に行かせた方が、どれだけまともな子どもが育つか、
考えればすぐに分かることであろう。
 
激変する世界情勢の中で、しっかりと自立していける国民を、
育てる教育かどうかといえば、はなはだ疑わしいと思う。
 
 
畠中光成

はたなか光成 <元衆議院議員>公式HP

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