政界再編と定数削減
国会議員の定数削減の議論が話題に上ってきているのは基本的に好ましいが、
どこか違和感を感じるのは何故か考えてみた。
二大政党が誕生したのは、小選挙区という「制度」によるものであって、
「民意」から生まれたものでもなければ、対立軸の明確な「理念」によるものでもない。
民主党がバラバラなのは、「政権交代」という二大政党特有のキャッチフレーズに
右から左まで集まってしまったからだ。
下野したにも関わらず、どうも野党・自民党の攻撃が鈍いと思われるのは、
もしかしたら小選挙区二大政党下の野党の地位に甘んじているのではないかと、疑ってしまう。
国会議員を削減しても、僅か(でもないだろうが)ばかりの節約ができる程度であって、
本質的に「良い政治」を行うという目的からずれている。
そもそも、
国会議員(衆議院議員)は国民の代弁者であって、党の駒ではないはずだ。
代議士と呼ばれるのは、それゆえである。
であれば、党を大切にする以上に、国民を大切にすべきなのであるが、
政党交付金という政治活動の原資が、党から下りてくるため、
国民より党の言いなりになってしまうのである。
(その政党交付金も元は国民の税金なのだが・・・。)
よって、党を割ってでも、国家国民の為に、仕事をしようという動機が働きづらい。
間違っていても逆らえないという民主党の多数国会議員を見ていれば、その原理は明らかである。
つまり、小選挙区二大政党を維持する限り、政党交付金はそれなりに入ってきて、
自らの身も安泰であるという、
政治家の公務員化が、今の姿であると思う。
この論理から言えば、比例制度は余計である。
ただし、それで多くの死票をどうするかという話だが、
死票の「数」ではなく「求めている政策や理念」に着目すれば、
二大政党で吸収しきれるものではないのだ。
話をもとに戻して、国会議員の削減は基本的に好ましいが、
今の政党の枠組みの中で政治家を減らしたとて、本質的に政治を良くすることにはならないと思う。
理念・政策による政界再編をした上で、次にコスト・制度の話が出てくるべきと思うのだがいかがだろうか。
畠中光成
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